国劇部誕生秘話
学習院大学学習院国劇部OB会長 園田榮治さんのお話から
昭和22年6月、「学習院国劇研究会」は生まれた。
敗戦後ということもあり、西洋文化の優遇色が濃く、
日本古来の文化に対しては、封建的で悪いという風潮が世の中に広がっていた。
そのため、結成当初は「若いのに変なやつらだ」という目で見られることも多かったという。
結成当時の学内では、歌舞伎を上演することなどはまったく考えられなかった。
そこで、歌舞伎の研究を主眼に置いて活動がはじめられた。
メンバーの獲得も大切なことであった。
研究会としたからには、芝居の話ができる人を集めねばならない。
そのため、すでに入会していたメンバーが創会の告知をガリ版刷りで作り、各教室に張り出した。
当初はあまり集まらないと考えられていたのだが、10数人が集まり、
そのなかには、作家の吉村昭氏(昭24高・大学中退)なども含まれていた。
メンバーも決まり、学校側に「部」への昇格申請を行ったが却下。
すでに演劇部が創部されていたため、同じような部があるのはおかしいという学校側の考えであった。
そうした中、活動は続けられ、翌23年6月に四谷の初等科で記念すべき第1回公演が行われた。
演目は「番町皿屋敷」。資金のあてがなかったため、なるべくお金が掛からない演目をと選ばれた。
本番では芝居が一時ストップしたりもしたが、なんとか初めての公演は終了。
以後、毎年のように「忠臣蔵」や「三人吉三」などの公演を重ねていった。
そうした活動が学校側にも認められ、晴れて「国劇部」へと昇格した。
また、青山学院大や東大など他校との合同歌舞伎も実現。
国劇部は学習院の名物として現在もその歴史を刻み続けている。
昭和22年6月、「学習院国劇研究会」は生まれた。
敗戦後ということもあり、西洋文化の優遇色が濃く、
日本古来の文化に対しては、封建的で悪いという風潮が世の中に広がっていた。
そのため、結成当初は「若いのに変なやつらだ」という目で見られることも多かったという。
結成当時の学内では、歌舞伎を上演することなどはまったく考えられなかった。
そこで、歌舞伎の研究を主眼に置いて活動がはじめられた。
メンバーの獲得も大切なことであった。
研究会としたからには、芝居の話ができる人を集めねばならない。
そのため、すでに入会していたメンバーが創会の告知をガリ版刷りで作り、各教室に張り出した。
当初はあまり集まらないと考えられていたのだが、10数人が集まり、
そのなかには、作家の吉村昭氏(昭24高・大学中退)なども含まれていた。
メンバーも決まり、学校側に「部」への昇格申請を行ったが却下。
すでに演劇部が創部されていたため、同じような部があるのはおかしいという学校側の考えであった。
そうした中、活動は続けられ、翌23年6月に四谷の初等科で記念すべき第1回公演が行われた。
演目は「番町皿屋敷」。資金のあてがなかったため、なるべくお金が掛からない演目をと選ばれた。
本番では芝居が一時ストップしたりもしたが、なんとか初めての公演は終了。
以後、毎年のように「忠臣蔵」や「三人吉三」などの公演を重ねていった。
そうした活動が学校側にも認められ、晴れて「国劇部」へと昇格した。
また、青山学院大や東大など他校との合同歌舞伎も実現。
国劇部は学習院の名物として現在もその歴史を刻み続けている。
COMMENTS
COMMENT FORM
TRACKBACK
| HOME |


